「先生」という言葉について書いてみます。
サポート「講師」という立場で、みなさんから寄せられた質問に答えたりオンライン相談をさせていただいていますので、時折、私のことを「先生」と呼んでくれる方がいます。
先生とは何か?
「先生」とは、私たちが学んで来た学校組織において、クラスの担任をしたり私たちに勉強を教えてくれた方々を指すことが一般的です。
あるいは、小説家・漫画家・お医者さんを「先生」と称したり、珍しいところでは専門性の高い職業に携わる方、たとえば美容師も「先生」と呼ばれることがあります。
定期的な帳簿確認のために訪問する顧問税理士に対しても、私は「先生」と呼んでいます。
大学受験の時に知ったのですが、慶應義塾では、創始者である福沢諭吉のことを「先生」と呼んでいるそうで、それに対して教授は「○○君」と呼ばれることがあるそうです。
また、中国との輸出入に携わっている方はご存知かと思いますが、中国では「先生」のことを「老師」と呼んで、「先生」は「○○さん」に該当する呼称だそうです。
さらに、なんと、我が国には「先生」と書いて「せんじょう」と読む苗字があるそうです。
静岡県の一部でこの苗字を名乗っている方々いるそうです。もし、学校関係にお勤めだったら「先生先生」になるのかと思うとドキドキしますね。
学校組織で学んだ経験から先生と呼んでいるのか
日々のサポートの中で私が「先生」と呼ばれることについては、正直「こそばい」感じがします。(こそばい、はおそらく方言だと思います。標準語では「くすぐったい」でしょうか。)
確かに、いただいた質問には自分の経験や知識を駆使して答えているので、質問した方にとっては、個人貿易ビジネスを教えてもらっているように感じていると思います。
学校組織で学んだ経験から、自然と「先生」という言葉が出るのでしょう。
生徒よりも「先に生まれた」ことから「先生」であるという説もあるそうです。
誰もが持っている人生という名の先生
以前、お勧めの本として紹介した「金持ち父さん貧乏父さん」の中に次のような一節があります。
人生がだれよりもすぐれた先生だってことはたしかなのさ。
たいていの場合、人生はきみに話しかけてきたりしない。
きみのことをつついて、あちこち連れまわすだけだ。人生はそうやってきみをつつくたびにこう言ってるんだ。
「ほら、目を覚ませよ!きみに学んでもらいたいことがあるんだよ」ってね。
人間はだれだって人生につつきまわされている。
中にはあきらめてしまう人もいるし、戦う人もいる。でも人生から教訓を学んで先に進んでいく人はとても少ないんだ。
そういう人は人生につつかれるのを喜ぶ。人生から何を学ぶ必要があることを知っているからだ。
それに、自分から学びたいと思っている。
そういう人は人生からつつかれるたびに何かを学び、先に進んでいく。でも、ほとんどの人があきらめる。
そして、きみのような一握りの人間が戦う道を選ぶんだ
この一節は、時給10セントで働かされたことに不満を持った主人公がした抗議に対する「金持ち父さん」の言葉です。
私たちがこれまで生きて来た人生。この人生も、私たちのとっての「先生」なのです。
私も、これまで生きて来た人生の中で、最も大きな割合を占めて君臨し続けていた「会社組織で生きる人生」からつつかれて、戦う道を選びました。
人生という先生が、会社や組織に頼らず自分の力で稼いで自由に行きていくことを、私に教えてくれたのです。
あなたはいかがでしょうか?
あなたも、人生という最高の先生を持っています。
今、その先生はあなたに何を教えてくれているのでしょうか?