自営業で成功したら「飯を食えるようなった」と表現する理由

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 なんとか飯を食えるようになりました。

 

ひさしぶりに再会した知人や友人に、自営業として働いている自分の近況をきかれたらほぼ、このように答えています。

 

もちろん、私はうまれたときから今まで毎日ご飯を食べています。運動もしていないのによく食べます。

 

そうではなく、ここでの「飯を食う」とは生きていく・生計を立てるという意味の表現です。

 

自営業の成功をはかるバロメーター

月収100万円を稼ぐことができるようになりました。

 

このようなストレートな表現よりも日本人らしい、なんとなく控えめな表現です。

 

自営業として働いたことで得られるお金の使いみちは、全てが食費にあてられるわけではありませんが、ある程度成功した自営業の生活水準や事業規模をはかるバロメーターとして、飯を食えるようになったという表現をつかいます。

 

稼いだお金は衣食住に必要な費用にあてられて、余剰分は人によっては貯蓄またある人によっては趣味のお金や遊興費にあてられます。貯蓄より攻めの姿勢でお金をふやすことを目指している方々は、投資にあてます。

 

そんな私たち人間が生命を維持するのに必要な「食」は、最優先事項に位置します。

 

「生きるために食べる」のか「食べるために生きる」のか

「うちには、埋めても埋めても埋まらない穴があるんだよ。」

「へぇ、それは深い穴なんだなぁ。」

「そうさ。もうかれこれ80年近く埋めても埋まらないんだ。」

「お前の家、そんなに広かったかい?」

「うちのばあさんさ。」

 

落語かなにかの小話だったと記憶していますが、このように、私たちはうまれてから今日まで毎日ご飯を食べ続けています。

 

子供のころは親が稼いだお金で食べることができ、社会人になったら自分で稼いだお金で食べることができるようになります。

 

ご飯を食べることができなくなったときは、生命活動を終えるときです。

 

そのようなことは考えたくもありませんが、「食」を確保するために賃金や収入を維持することを最優先事項として、私たちは生きているのです。

 

「生きるために食べる」のか「食べるために生きる」のかについては、「ニワトリが先か卵が先か」に似たものを感じます。

 

旅行先でおいしいものを食べているときだけは、「自分は食べるために生きてるんだなぁ」と実感します。

 

飯を食えるようになったという人は自営業だけ

少し話がそれました。

 

最初に書いたなんとか飯を食えるようになったという表現についてですが、この表現をつかう人は企業や組織に所属しているサラリーマンではなく、ほぼ例外なく、独立して自営業の道を選択した人だけです。

 

企業や組織に所属しているサラリーマンは、毎月決まった賃金を得て、人によっては年に1~2回の賞与(ボーナス)も得ます。

 

決まった賃金(業績で下がることもありますが)を毎月欠かさず得られることができる状況では、実感も湧きにくいので、「なんとか食える」という気持ちにはならないものです。

 

決められた業務を決まった上司に伺いを立てながら決められた時間でこなして決まった賃金を得る。

 

そのかわり、決まった金額が指定口座に振り込まれて、業務上の失敗は企業がカバーしてくれます。

 

そんな安心感に包まれながら生きています。サラリーマン経験者の私も、このことには異論はありません。

 

そのレールに乗らなかった、あるいは自分で外れたり会社によって強制的に外された人が自分の力で稼ぐことができるようになった時に、なんとか飯を食えるようになったといいます。

 

自営業が苦労を乗り切ったときにつかう表現

自分で決断しなければならず、失敗は全て自分がかぶる。

 

売上げから経費を引いて残ったお金から、自分の生活費を捻出することに粉骨砕身します。

 

起業当初はなれないことが多く、誰もが苦労をします。

 

いきなり順調満帆な方もまれにいますが、先輩からアドバイスをもらったり、自分で勉強をして手探り状態で走り続けて、体で覚えて徐々に軌道に乗せるという感じです。

 

そうした苦労を乗り切ったつかの間の安堵感と謙遜の意味をこめて、他人にはなんとか飯を食えるようになったというのだと私は思います。

 

なお、それを聞いたことで

 

へぇ、どんな風に食えるようになったの?

 

といった無粋なことをたずねる人はいません。

 

よかったね!おめでとう!

 

こう返してそれ以上聞かないのが、大人の作法なのです。

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