一年を4つの季節に分けると「春・夏・秋・冬」となりますが、それらの季節の始まりの日の「前日」を、もともと「節分」としていたそうです。
あなたも、カレンダーで見たことがあると思いますが、「立春・立夏・立秋・立冬」これら全てが「節分」だったそうです。
そんな「節分」ですが、4つある「節分」のうち、特に立春の前日を「節分」と一般的に扱うようになったのは江戸時代だそうです。
古来より、季節の変わり目には鬼がいると考えられており、その鬼を追い払うために、各地で様々な行事が行われていました。
最も有名なものとして、「鬼はそと、福はうち」の「豆まき」で、1447年の我が国の文献で確認ができる最も古い風習なのだそうです。
豆をまいたあとは、自分の数え年の数だけ豆を食べるという行為は、あなたも経験があるかと思います。
子供の頃は、普段は家を散らかしたら親に怒られるものですが、この日だけは思いっ切り豆をばらまくことができるので、妙な興奮に包まれた思い出があります。
地域によっては、大豆ではなく落花生をまく風習があるところもあるそうです。自分のところは、もっと変わった物をまくぞ!という方は、またお便りで教えてください。
節分といえば「恵方巻き」
地域によって様々な節分の風習や行事がありますが、大阪で育った私にとって、今でも恒例行事として慣れ親しんでいる風習があります。
恵方巻き
そう、ここ最近では全国区の行事となりましたが、私が子供の頃は、関西特に大阪で最も有名な節分の行事でした。
大学に進学した頃、最初にやったアルバイトが弁当工場での仕分け作業だったのですが、主な出荷先はコンビニでした。
普段は一店舗に1本か2本程度しかコンテナの中に入れなかった巻き寿司が、節分の前日・当日のシフトに入った時にはなんと、100~200本を一店舗のコンテナに入れていたので、流れ作業のコンベアベルトを何度も止めながら巻き寿司を入れた思い出があります。
その弁当工場が、最近倒産したことをネットのニュースで知って、何とも言えない切ない気持ちになりました。
節分に巻き寿司を食べる風習が大阪以外の地域にも広がったのは、コンビニでの販売促進が大きく関わっていたそうです。
恵方巻きの起源は何か?
巻き寿司を恵方(縁起の良い方角)を見ながら丸かぶりするという風習の起源については膨大な数があって、どれが最初かはよくわかっていません。
私が生まれる前に起こった「オイルショック」の時期に、海苔の需要拡大を狙った業界団体が、宣伝目的で巻き寿司の早食い大会を開催したことが、恵方巻きが広まった決定的な理由だと言われています。
1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」として販促キャンペーンが展開された。
1974年に大阪の海苔店経営者らがオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして「巻き寿司早食い競争」を節分のイベントで開始、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った同イベントがマスコミに取り上げられたこと、関西厚焼工業組合も同時期頃に宣伝活動を開始したこと、などが契機となって徐々に知名度が上がり浸透していく。
出典元:恵方巻-Wikipedia
このように、ブームには必ず火付け役・仕掛け人が存在します。
輸入ビジネスでも意図的にブームを作り出せる
たった一回しか売れていない商品を仕入れる
輸入ビジネスを実践していると、自分が最も早く海外から仕入れてヤフオク!で販売し、ライバルが現れるまでの間ずっと同じ商品を売り続けることがよくあります。
eBayで仕入れてヤフオク!で売る輸入ビジネスの鉄則は、日本で売れた実績(オークファンなどの履歴)を参照して、全く同じ商品を仕入れて販売するというものです。
そこから少し視点を変えて、売れた実績はあるものの、たった一回しか売れていない商品を仕入れて販売することで、自分の手でブームを作り出すというやり方です。
原則とは異なるので、初心者の方は基礎を押さえてから取り組むことを強くお勧めします。
目論見が的中すると独占状態になる
過去に長期間、独占的に売り続けた商品は「物販ビジネス大サミット2012」の壇上でポロッと言ってしまった、あの商品です。
あの商品は、日本で売れた実績は過去2年間で一件しかありませんでしたが、入札数が非常に多く、次に自分が仕入れたら同じ価格で売ることができると踏んだものです。
その目論見(もくろみ)は的中し、値下げ交渉付きの即決で自分の売りたい価格で売り続けることができました。
なぜ、このようなことができるというと、たった一回しか売れた実績がなかったとしても、その商品を欲しがる人々がまったくいないわけではないからです。
たった一回といっても、売れたことには違いがないわけですし、その商品をeBayやその他の場所から仕入れる人がいなかったから、ヤフオク!で売られていなかっただけかもしれないからです。
ただし、このようなウハウハの状態がいつまでも続くわけではないことに注意が必要です。
ヤフオク!で取引する以上、他の商品の履歴が残るのと同じように自分の販売実績もヤフオク!やオークファンに残ります。
次第にその履歴を見た他の実践者が、同じようにeBayからその商品を仕入れてヤフオク!はその商品であふれる日がやって来ました。
自分が仕入れることによって、その商品のブームと言えるものがヤフオク!で盛り上がってしまったのです。
長い目で見たら、私が仕入れなくても誰かが見つけていた可能性もありますが、少なくとも私自身の手によってヤフオク!という小さな市場でのブームを作り出してしまったのです。
この商品は、大サミットで私が提唱した「逆輸入」という考え方によって発見することができました。
いつもは人の後を追うように商品を仕入れていたとしても、あなたにも考え方を少し変えることで
ブームの火付け役になるチャンスは必ずあります。