私が育った町のお医者さんは、大変変わり者であることで有名でした。変わり者を自覚している私から見ても、かなりの変わり者でした。
ある日、風邪で学校を休んでそのお医者さんに診てもらいに行きました。
鼻水がひどくて、熱もあるんです。多分、風邪だと思うんです・・・。
こう切り出したところ、その先生いわく。
風邪かどうかはワシが決める!
うん、ごもっとも!おっしゃるとおり!
今は引退したと風の噂で聞きましたが、先生、お元気でしょうか?
これから行動することの結果なんて誰にもわからない
さて、そんな小話はどうでもよいのですが、 今回は後悔について書いてみます。
当たり前の話ですが、私たちには先の未来が見えませんので(ごくまれに見えるという方もいますが・・・)これから行動することの結果は誰にもわかりません。
行動の結果をはかる「ものさし」は、多くの場合、成功と失敗に二極化されます。
たとえば、好きなあの子(あの人)に告白することも、お付き合いが始まるか「ごめんなさい」となるか・・・「成功」か「失敗」かのどちらかになります。
(私には「・・・お友達でいましょう」という優しい言葉でかわされた苦い思い出があります。)
成功の可能性が高いと見込まれることには、私たちは積極果敢にチャレンジできますが、少しでも失敗の可能性があると思ったときには、行動に二の足を踏むことが往々にしてあります。
先ほどの「告白」という行動においては、「失敗」の公算が高いと思った途端に、行動しようとする気持ちがなくなります。
しかし、その「行動=告白」をしない限り、どのような答えが返ってくるかは永遠にわからない、ということになります。
もしかしたら、あなたの告白を、その方は待っていたのかも知れない!学生時代から数十年経った今頃になって
あー、あの時告白していたらな・・・
このように、後悔の念にかられることでしょう。
俺は告白したことがない!いつもされる側だった!
私も告白したことがない!いつもされる側だった!
まあ、こんなうらやましい方にはピンと来ないかもしれませんね。
行動を止める要素がいくらでも思い浮かんで来る
では、「商品仕入れ」という、私たちにとって身近な例に置きかえてみましょう。
今、あなたはeBayもしくは海外のネットショップをながめていて、目当ての商品を仕入れようと考えているとします。かかる経費を計算して、さあいよいよ仕入れの瞬間です。
そこで、弱気なあなたがあらわれて・・・
今は利益が出るかも。でも・・・
輸送途中に壊れたらどうしよう・・・
日本に届くまでに値崩れするかも・・・
自分以外にも競合が大勢いるかも・・・
長い間売れなかったらどうしよう・・・
あなたの行動をとめる要素が、いくらでも思い浮かんできます。
そこで、それらに押し切られてしまって商品を仕入れなかったとします。
数週間後・・・販売するヤフオク!のページには、あなた以外にその商品を出品している人は誰もおらず、さらにその数日後にあなたが仕入れなかったその商品を出品する人があらわれます。
そして、その商品はかつてあなたが見込んでいた価格以上で落札されてしまいました。
その時、あなたは責めることでしょう。そう、あの時弱気に押し切られた自分自身をです。
頭をかすめることのほとんどは「やらなかった後悔」
私たちは、不思議なことに「やらなかった後悔」は鮮明に記憶に残り、「やった後悔」はそれほど残らないものです。
よーく思い返してみてください。
あなたがこれまで歩んで来た人生の中で、頭をかすめることのほとんどは「やらなかった後悔」のはずです。
後悔先に立たず
という格言があります。
これの本来の意味は、「やってしまったことは後から後悔しても取り返しがつかない」ので「これから行動することは慎重に取り組むように」という、いましめの言葉です。
「誰も先の未来を読めないので、十分に準備を行った上で慎重な行動をするように。そうすれば後悔することもない。」とするのが、この格言の持つ本当の意味なのです。
しかし、私は後悔はしてもよいと思っています。ただし、それは行動したことにだけです。
思い切ってやったことが失敗したとしても、それはあなたの経験になります。
やらなかったことは、結果が誰にもわからないので経験にはなりません。これは後に大きな違いとなります。
実績をあげている方々は、行動し続ける中で、時には後悔しながらそれでも果敢にチャレンジし続けた方ばかりです。
やらずに後悔するよりもやって後悔しよう
これが、私があなたへ贈る言葉です。