心を充電する期間も必要
私たちの身のまわりには、様々な電子機器があります。パソコンの周辺機器やテレビ・エアコンのリモコン。
今、このブログを読んでいるあなたの周辺にも、いろんな電子機器があると思います。そんな電子機器に必ず入っている、小さくてもしっかり働く頼もしい細長いもの。
そう、乾電池です。
小学生の時、漢字書き取りテストで間違って「電地」と書いて、赤ペンで修正された苦い思い出があります。まさか!「池」を「チ」と読むなんて、その頃は考えも及びませんでした。
「先生、なんでなん?」と聞いても先生は苦笑いをするだけで、どうしてなのかは結局教えてくれませんでした。ご存知の方、お便りをお待ちしています。
普通の乾電池と充電式電池の大きな違い
いまや乾電池といえば、「エネループ」や「充電式エボルタ」という商品名で有名な「充電式電池」が大きく普及しています。私の家でも、ほとんどの電子機器の乾電池にはこれらの充電式電池を使っています。
店で売られている(レジの付近に置いてあります)普通の乾電池と充電式電池の大きな違い、それは「充電できるかどうか」です。
普通の乾電池は入れている電子機器が動作しなくなったり、液晶画面がある場合は表示が薄くなったり消えたりすると電池の寿命がきたことがわかります。
そうやって寿命をむかえた乾電池は機器から取り出して新しいものと入れかえ、市区町村で決められた方法で廃棄します。
充電式電池は、専用の充電器をつかって電気を充電して、何度も使用できます。その回数はおよそ数百回から千数百回といわれています。
電子機器の種類にもよりますが、普通に生活しているうえではそれだけの回数の充電をすることもないので、実質充電式電池を購入したら買いかえることはありません。
しかも、普通の乾電池を購入する機会もなくなります。近い将来、世の中の乾電池は全て充電式電池におきかわるかもしれません。
使い切った充電式電池=アウトプットし切った自分
さて、そんな便利な充電式乾電池ですが、手にとってじっくり眺めてみると私たちの心や頭脳と同じだと思いました。
芸能人や作家がよくつかう「充電期間に入った」という表現は、あなたもきいたことがあると思います。
ずっと最前線で頑張ってきた心と体を休めて、英気を養うためにあえて何もしない状態にして活動をしない期間をもうけることをこのように表現しています。
私たちが、自分の意思や会社の都合で組織から離れて失業状態になっていることも、充電期間であるといえます。
「使い切った充電式電池=アウトプットし切った自分」
このような図式が成り立ち、充電式電池に電気を通して充電するようすは、私たちが全てを出し切ってから次に新しいことを始めるための準備期間のようなものです。
それまでの活動が激しければ激しいほど「電気=英気」の消耗が激しいので、多くの「充電=インプット」が必要です。
なにも形式ばってセミナーに参加したり、専門の書物をあさって勉強することで無理に頭に詰め込むことだけがインプットではありません。
あえて何もしないことも、それまでのアウトプット期間が長かった場合はそれ自体がインプットとなるのです。
すべてを忘れてふらっと旅行に出かけて見聞を広めてもよし。それまで疎遠になっていた知人や友人とあって語らいの時間をもうけてもよし。
次に備えてゆっくり英気を養う時があってもよい
今、あなたが不本意なかたちで、外的要因によって会社や組織から離されて失意のどん底におちいっていたとしても、次に備えてゆっくり英気を養うときがあってもよいと私は思います。
長い人生、そんな時があってもよいのではないでしょうか?
なお、充電式電池には決められた充電時間が存在します。その期間をこえて充電することは液漏れや故障の原因になります。
心の充電はほどほどにしておかないと乾電池として使えなくなってしまいますので、その点はくれぐれもお気をつけください。